Thursday 20 August 2015

現場

先日、ロンドンで再び小さい規模ではありますが、撮影現場で字を書く仕事がありました。依頼主メーカーの名は秘密ですが、机の上で字を書く、私の字とペンと手が画面に入る設定です。朝から晩まで貸しスタジオで、ひたすら同じ字を書いていました。今回はアルファベットで英語で書きました。

撮影現場には、これだけのものを撮るのに、こんなに沢山人がいるのか、半分くらい居なくても困らないんじゃないかなーといつも思ってしまいます。

私の周りにはカメラが2つ、よってカメラマンも2人、彼らを指揮する監督が1人。
紙やペンなど、小道具のお世話をしてくれる人が2人。
撮る前に、いわゆる「かちんこ」を出す若い子が一人。

少し離れて、この机の周りチームと、依頼主や広告代理店との連絡係、また全体の進行を見守り管理するAD一人。メイクさん一人。以上が撮影チーム。

それから広告代理店のチームが6人。
ペンのメーカーである依頼主チームは6人。

これでも多い!と思いますが、47 では常に現場に最低150人くらいはいそうでした。すごい。

やり方は、映画と似てました。何をどう見せるかを、広告代理店とメーカーで決めたら、グラフィックがストーリーボード story board 、と呼ばれる紙芝居のようなものを書きます。わりと細かい動作まで指示されています。それを見て、カメラチームは照明やズーム、フォーカスなどを決め、タレント(私)にAD が次何するかの説明をしてくれて、
私は指示に従うだけです。

普段は、静かに自分の机で好きな姿勢で字を書いているので、皆の目があり、ミスの許されない「ライブ」は緊張してしまいます。そして自分からとても紙が遠いし、ライトは暑くて、とてもまぶしいから字もよく見えない時もあり、目も疲れます。場合によっては、ペンの上の方を持って書かないといけないこともありました。紙もペンも机も椅子も自分に選択権はなし。周りで人は喋りまくってるし、バタバタ走り回りもします。

文句を言えばきりはないけど、仕事だし、がんばりました。カメラの人だってきっと色々思い通りに行かないことがあるんでしょうし、撮り直しは、私のミスもありましたけど、フォーカスがずれたりする撮影サイドの問題もありました。メーカーの意図がその場で変更になることもありました。撮り直しになっても、誰が誰のせいか、追求したり、責めたりは全くなく、(でも、もうちょっとこうしてね、という注文は出る)はい、次と淡々と続きます。

あと面白かったのは、映画の時は、カメラが撮り始めると「Rolling!」とADが叫んで、それが静かにする合図でした。現場にいる人数が多かったので、ADの最初の一声の後に、色んなところでそれを繰り返す声がこだまして、静かにするよう伝達していくようでした。

今回の撮影は「Turning」 でした。同じ「回る」んだけど、ちがう感じ。そして今回は音を拾わないので、静かにする必要がそんなにないため、カメラさんたちがつぶやく程度です。そして Turning に続けて、最初にスタートするポイントのフォーカスが決まって、準備ができると、カメラさんたちは「Set」と小さく言います。Set が2つのカメラから出ると、監督が「Action」と私に動いて良い指示をくれました。この瞬間、緊張しますが、好きでした。

これで 8am - 6pm、休憩、ランチはありましたけど、皆体力あるなあと感心してしまいました。座ってるだけの人もいましたけど、カメラマンなんて、私以上に集中力要るのでしょうし。たいへんな世界、と改めて思いました。皆、慣れてくるのかな。

Saturday 1 August 2015

ウエツ村は、刀鍛冶や、刀にまつわる匠たち(装飾など)の村、という設定で、その技術と評判で栄えていたのに、キラの城下になってからさびれた、ということになっていました。

刀鍛冶が作った刀にはマークがあるはずだから、それを調べてほしい、とチーム内で頼まれて、キーワードなども分からずに行き詰まっていました。その頃に現地にいらしたところのオオイシ氏に、きっといくつも時代劇されて来ただろうから、ご存知かもしれないと、会った際に聞いたこともありました。


大英博物館や Victoria & Albert Museum にも刀の展示はあって、凄味があるなと見ていたことはありましたが、身近に接する機会もなく、ほとんど興味を持ったこともありません。
調べていくと、刀の部分にも各々立派な名称があることが分かりました。

マークがあるとしたら、柄に埋まってる(?)部分にあるらしい。上記図の「銘」の部分です。


有名で、伝説にもなっている刀匠がいたことも知りました。名前が彫られている場合が多いようですが、印もあるようです。


上は同じ菊の花の紋ですが、時代や匠によって微妙に差があり、鑑定の際の目安になるようです。同じく匠の名前だけでも、彫り方などによって見分け方があるようでした。


鋼に彫って行った、打ち込みの跡が見えるようです。
とめやはねも、彫っているので、筆の字よりもきぱっとしていて、かっこいいです。

こう見ると、包丁に名前が入ってることもありますね。歴史のある包丁の作り手の名前が入ることによって価値が決まるようです。

調べたらもっと奥が深くて面白そうでしたが、時間がかかりそうでしたので、止めました。未知の、興味深い世界でした。

Sunday 5 July 2015

七夕

七夕はお節句の一つ。
日本で育った方なら誰でも短冊にお願いごとを書いたことがあるのでは。



京都、貴船神社の笹飾りです。

奈良時代にはお願いごとでなくて、五色の絹糸を笹に飾ったと言われています。
五色は中国の陰陽道から生まれた自然を表す「五行説」に因んだもので、
「青」・「赤」・「黄」・「白」・「黒」
が使われていました。

青が緑の「木行」、
赤は炎の「火行」、
黄は大地の「土行」、
白は土に埋まっている金属の材料となる鉱物の「金行」、
黒は命を育む水の「水行」を表しているそうです。


五重塔の 天、風、火、水、地と似ています。

だんだん、黒の代わりに紫が使われ始め、江戸時代にはお願いごとを書いた短冊を飾るのが流行ったと言われます。

なぜ笹なのかは、昔から農作業などで虫除けとして笹や竹が使われることもあった為に、浄化作用があるとされていたことから、のようです。

今回のお話は、見た目は似ていますが七夕とは直接関係は全くありません。
使用されなかった小道具の一つですが、カイが天狗に刀をもらいに会いに行くシーンの飾りのひとつとして、デザイナーはこの笹飾りを使いたかったようです。
厄よけ、という意味で、天狗の森の入り口辺りにわんさか飾りたい、ということだったので、コピーして大量生産することにしました。


厄よけなので、お経を書くことになり、大きい、多分A2だったと思いますが、紙に違う種類の字で書きました。それを大きい紙がスキャンできる業者に送ってデータとして取り込んでもらい、布や紙に印刷してもらいます。

布として印刷したものは別途使う予定でおいておいて、紙の方を縦に裂いていきます。


あとはスタッフが、上に穴を空けて笹に吊るしてくれる、、、
はずでしたが思わぬ問題発生。


上下さかさま、、、、。

彼らは日本語が読めないので、仕方ない。
皆で話し合って、下にくる部分に、金で印をつけることにしました。スタッフは金のついてない方を上にすれば良い。


問題解決で、笹は紙のお飾りだらけになりました。

天狗の森のセットは、ブラペストに作られたので、持っていきましたが、美術監督の判断で使わない事に決定、日の目は見ませんでした。

布の短冊は、カイの住んでいる場所の周りの飾り付けに使われたようですが、はっきりどこか分かりません。


笹が飾られるなら、同じ節句の重陽の節句(秋)の菊にも、短冊が使われている資料がありました。これは願い事、というよりは、菊の品評会において、各々の菊の名前を表示するためのものではないか、と私は思いますが、デザイナーはこのアイデアも気に入っていて、どっかで使えないか考えていたようです。

Sunday 7 June 2015

ふとん

この仕事をしていた時の、資料のファイルや写真を見ていると、あ、こんなことも調べたな、と忘れていたことがあります。

ちなみに役職として「リサーチャー」というポストもあります。だいたいは、プレ・プロダクション、撮影が始まる前に終了するものだそうですが、時代背景や関係のありそうな資料を集めて、項目ごとにファイリングをする仕事です。いくつものファイルの他に、古い本や他の日本映画のDVDなどもありました。

私が、2009年の10月ごろ、この仕事をするかどうかのインタビューに行った時は、彼女はファイリングしてらっしゃいましたが、翌年の1月に働き始めたとき、すでにこの方は勤務を終えて、いらっしゃいませんでした。
私がチーム内で唯一、日本語で調べものができるので、よく字以外のことでも、その準備されたファイルになければ、リサーチを頼まれたものです。調べていくうちに、私もおもしろいな、知らなかったなと思うことが度々ありました。

そのうちの一つが布団です。
ミカの寝室の飾り付けをしているときに、布団がどんなだったか調べて欲しい、と頼まれました。ざっと調べてみたら、布団っていうか着物でした。



丈の長い着物に綿をたくさん詰めて掛け布団にしていた、とありました。
かいまき(掻巻)という言葉を、聞いた覚えはありますが、そういう事だそうです。写真は幕末ー明治のものらしいので、少し47 のころより後になります。
寒い時はそれをそのまま着て、室内で過ごしていた、という記述もありました。ちゃんちゃんことか、ねんねことかはこれの名残かも。
屋外へは着ていかないものだったそうです。

布団をはおってウロウロしてたんだ、それは今ある全身すっぽり入る、着れるフリース毛布のようなのと同じなのでは、、、!
昔からダラダラする時の根本は変わっていなかったのかも、と可笑しく思ったのを覚えています。

でもそれは庶民の布団、ということだったので、お姫さまのミカはきっとちゃんとした布団を持っていただろう、という結論になり、結局彼女の布団は普通の四角い掛け布団になりました。


色調が寒そうですが、キラの砦に捕われている時の部屋なので、寒色系です。でも布団、これじゃ北国では寒そうです。

そして枕。

結った髪型が崩れないように、高い枕になっているのは時代劇でおなじみです。日本から持ってきたアンティークの枕もいくつか倉庫にありました。デザイナーはそれらの布部分を変えるように布部に頼んだらしく、仲良しの布部の女性は枕を沢山作ってたのを覚えています。

塗りの部分が奇麗です。
この柔らかい部分の中身は何だ、と聞かれたので、そばがらだと思うと言いました。
そばがらが手に入らないので、その布部の女性は触感が似た代用品を探し、クスクス(cous cous)という小麦粉で出来た中東で主に食べられる小さい粒のパスタのようなものを詰めていました。時間がたったらかびちゃうかもしれません。

全く字に関係ないのですが、こういう調べものも楽しかったです。



Sunday 24 May 2015

農村の小物たち

農村にいるのがあまりに好きだった私は、自分の仕事以外に何かすることを見つけよう、そしたら外に長く居れる、と考える毎日でした。

この頃で、勤め始めてから5、6ヶ月目。色々慣れて、誰に何を聞けば良いか、何に手出し(手伝い)していいか、周りが読めてきていました。

農村にありそうな小物などの資料をリサーチして、画像して揃え、デザイナーやチームメイトに説明しながら「私作れる、できる」アピールをさりげなくします。

手伝いではなく、私独りに丸投げされたのは、辻にあるお地蔵さん。
以前も言いましたが、宗教的な飾り付けはなぜか私に任せることが多くありました。

この時は建物チームが祠まで作ってくれていました。適当な座像も見つからず、では、と大きめの石を、庭チーム(Green team) から拝借してそれをご神体に。


お供えに果物などを置き、野の花を飾って、「神道のカミナリ」をつけました。

余談ですが、茅葺きは、茅葺きの専門の作り手さんチームがいました。
ショウグンのお成りになる門にかかる、かなり大きな注連縄などは彼らが作っていました。よく出来てます!

それから防火水桶。
元禄時代に果たしてこの形であったのかどうか、、、厳密には怪しいですが、木版画などの資料からこうなりました。


建物チームが外側を作り、桶は私たちのチームが大工さんチームに頼んで作りました。彼らはもう驚くほど資料があれば何でも作れます。この桶も撮影後、お風呂用にもらいたいくらいでした。

水は地べたにはいつくばって書きました。側面は火の用心(要心)。桶には木版画の資料を真似て、村の庄屋さんの屋号を入れます。角にお護りのお札も貼りました。
よく出来ていましたが、多分オオイシたちの進行方向と丸で逆なので画面には登場していないかもしれません。

全く字と関係ないことで手伝ったのは、大根と柿!


干し柿は食べたことも見た事もありますが、作ったことはなく、これもネットのお世話になって、先輩と一緒に、2時間ほど縁側に座り込んで、黙々と糸を通しました。糸は工作用の太い糸で、布団針のような巨大な針に通しました。オオイシ宅の脇にたくさんぶら下がりました。

大根は、、、
どこから資料見つけたのか失念しましたが、切り干し大根みたいに干物にしてる、、、のかな。大根自体は味が少し異なりますし、灰汁もすごいのですが、ロンドンでも中華食材屋などで売っています。格子に葉の部分を結んで干してるようにしました。

実物をよく見ると格子や襖の感じも、やはり日本古来のものと異なりますが、カメラを通すとこの赤めの木の色が、それっぽく見えるのでやはり魔術のようです。



Sunday 10 May 2015

農村の掲示板

農村の飾り付けがあんまり楽しくて、デザイナーにもっと字を書くところを作って下さい、と冗談半分で言っていたら、増えました。

通りの中程にある家の壁に、掲示板のようなものができました。
お達しやお知らせを貼っておくところです。
この頃の民間人はどのくらい字が読めたのか分かりませんが、
何か通知があれば貼っておく、
見たものはなんか言ってるな、と認識して
字を読める者が代わりに内容を伝えたりしてるのかな、と考えていました。



よく時代劇で町が舞台だと、立て看板のようなものも見ます。
この形は、私が行ったら出来てたので、大道具の方が、何か参考にしてこの形にしたんだと思います。


掲示板はずっとそこにあって、何かお達しが来る度に、紙を貼っていくことにしよう、と勝手に設定しました。
紙は和紙よりちょっと厚めのしっかりめの紙に、直に書きます。
軒下だけど、防水スプレーをして、それからシミをつけ(エイジングスプレー)て、スプレー糊で板に貼りました。

完成した写真がどっか行きましたけど、お札とか色々別のモノをはったり剥がしたりして、跡を付けたりして、最後に全体にまたシミを付けて出来上がりでした。


Sunday 26 April 2015

畳屋

オオイシたちの村(アコウ)のセットは、前出しましたが、農村の設定で、撮影に向けて準備していたのが、ちょうど5月6月の気候の良い時でした。
縁側に腰掛けて作業しながら、通りかかりの同僚と世間話なんかしたりして、昔もこんなだったのかなと思ったりしてました。

農村ながらも、デザイナーは各戸に商売を設定していて、ここは普通の農家だけど、ここには農耕機をたくさん置こうなどと決めていきます。
うち1つを畳屋にしたい、資料を集めるように、と言われました。

資料の本棚やネットで検索してみます。



今でも、当時と作業の様子があまり変わっていないものの一つかもしれない、と思ったのを覚えています。

それはそうと畳って妙な字ですよね。

農村に果たして、畳が必要だったのか。
農家って普通は土間とか板敷きだったりしないかな、と思いましたが、上に収めるようの商品かもしれません。畳マットでなくても、むしろや、ゴザなどなら、農家でも需要はあるはずですし。

あまり資料の数としては集まらなかったので、その画像のうちの一つを丸ごとコピーさせていただくことにしました、、、。店の名前だけ、仲良しの名字を借り、さとうさんに畳屋になってもらいました。



提灯は店の看板代わり。
むしろを丸めて、しばるところから自分でやりました。ネタ(インク)はペンキです。
のどかな農村の軒下で、皆と声掛け合いながらの作業は本当に楽しかったです。


提灯、けっこう気に入っていたのです。
IK○Aで買って来た骨組みだけのランタンに、小物作りの方が、古い出版物をはっつけて下さったので、骨組みの上からですが、字を黄色い菱形を入れました。
なぜかその後デザイナーに「腰みの」を追加されて、てるてる坊主のような、、、。

デキが気に入ってるものの1つですが、きっと本編には登場していないようです。