Friday 7 November 2014

布、といっても木綿、麻、絹といろいろ書きました。
以前も述べましたが、幟というのは、大きな宣伝手段であったようです。戦場では領地の宣言、平和な世では行商、興行の宣伝など、古い資料にもよく見られます。


広重の作品は大好きですが、撮影現場の資料本棚にも良い本が沢山ありました。神社などのお参りやお祭りの場面によく出て来ます。字も面白い!


これも広重ですが、幟というよりは、、、かつぎ物。実はこれ、実際に作りましたが、実際に撮影には登場しなかった残念なもののうちの一つ。上に3つも紙垂が付いてるし、丸いところは実は扇が三つ連なっている。この図は商店の看板やサインの役にも立ちました。

現在でも幟はとても有効に視覚に訴えかけると思います。お相撲や歌舞伎の公演会場で幟はよく見られますし、上の写真は能登のお祭りの伝馬船だそうですが、かっこいい!サイズが凄いですね。字は普通ですが。

この映画でも、旗指物(はたさしもの。また別途話します)を始め、幟は様々な種類や形大きさのものを数多く作りました。ペインターさんはいつ行っても幟を塗っていた記憶がありますし、布部の人たちはミシンでこの L 字形の、竿に通す部分のミミを無数に縫ってました。私も布に書くのは、最後には大好きになりました。


これは最初の頃に書いた絹で、キラの砦用。指示は「軍隊の部署ごとに7、8つ書いて」。部署って?と思ったら、槍とか鉄砲とかの役目ごとの様でした。歩兵も入れて、数を揃えます。背が高く、幅が細いものでした。
これは上下で引っ張って、宙に浮かして書いています。墨でなくて、屋外用なのでペンキです。

 設置されたところ。
あちら側にキラの紫タコの幟も見えます。それに比べたらやっぱり白い地に黒の字は目立たない。幅も細かったので、そう大きく書けなかったけど、ちょっともったいないです。もっと黒目を大きくしたら良かったのかも。


上の写真は、前にも出ましたが、 キラの墓前用でした。(カットされた焼き討ちの場面)
墓場なので、最初の指示は白地に黒でした。南無釈迦牟尼仏、と書いてます。


が、撮影当日に色変更に。
紫と黒に塗り分けた上から、銀のペンキで字を入れました。
その時はアセりまくって作業に追われただけでしたが、こちらの方が大分インパクトがあります。白い幟を見て、二秒で「紫にして」と言った美術監督はやはり凄いなと今は思います。

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